コミュ障だから明日が僕らをよんだって返事もろくにしなかった

何かを創る人に憧れたからブログをはじめたんだと思うよ

選択と集中のおかげで生きてはいけない人間をスコア化できるようになる気がするんだ

犯罪者予備軍は今日もブログを書きます。

選択と集中という言葉がある。正しい意味は知らないけども成功してるものに投資すればみんなうまくいくとかそんな感じで使われている気がする。

それを踏まえて言えば今偉い人間は何をやっても良いってことだと思ってる。例えば政治家はみんなに選ばれて成功した人間だから何をやっても良い。逆に僕は他人からの信用は一切ないから何をやってもダメ。例えばお金持ちは稼いでいて成功しているから何をやっても良い。逆に僕は明日の心配をするぐらい稼げないから何をやってもダメ。例えば、高学歴の人たちは高難度の試験を突破したりし成功しているから何をやっても良い。逆に僕は三角関数もわからないから何をやってもダメ。例えばアスリートは数々の結果を出して成功しているから何をやっても良い。逆に僕は恥の多い人生しか送れないから何をやってもダメ。例えばSNSでたくさんのフォロワーがいる人は影響力のある社会ステータスとして成功しているから何をやっても良い。逆に僕はそんな影響力もないから何をやってもダメ。

そんな風に僕みたいな人間があるべき姿を考えた時ってやっぱりそういうダメさ加減をスコア化してちゃんと生きていてはいけないんだよってのを示すことだと思うんです。曖昧なまま人間は平等だとか、社会に必要のない人間はいないだとかそんな話をするのでなくこの数値を下回ったら死んでくださいっていうのでいいと思うのです。あるいは人間として認めないとか。だって必要ないんですもん。この社会をより良く維持するためには必要ないんですもん。何事も維持するにはコストがかかります。必要のないコストはバッサリと切り捨てる方がより良い社会になりますよね?そういうことです。

そういうのが今の世の中で求められてるんだろうなって思うよ。僕はいかにして命を絶つのが正解なのか…。