コミュ障だから明日が僕らをよんだって返事もろくにしなかった

何かを創る人に憧れたからブログをはじめたんだと思うよ

何者にもなれない

僕の思う何者かってSNSでチヤホヤされるとかでなく普通に生活できる暮らしを得ることが何者だったりする

明日の生活に怯えないように生きるために私は何かできますよという何者かであることが必要になる。何者でなければ生活の保障はされない。このブログを読んでいるみなさんは社会的信用があるかたばかりなのでそういったことはないのでしょうけども、僕はそういったものがないので色々と苦労します。一日に三回以上職務質問とかされたりする。電話越しに恫喝とかもよくされる。所属している組織でもよく干される。


インターネットの世界もある種の信用でできています。挨拶感覚で死ねとか消えろとかそういったことを言われないためには信用というものがとても大事になります。そのために何者かになって武装しなければいけないのだ。何者でない人間は信用というものが著しく低いので何をしてもいいおもちゃでしかない。別に野垂れ死んだところで誰も心配などしないし、壊れたら次のおもちゃを探せばいい話だ。

そうならないために自衛のために何者かになろうとする。そうしなければ生きている意味がないから、生きられないから。信用を獲得しなけれはいけない。権威で立ち向かわなければならない。


何者かどうかというのは何もインターネットに限った話ではない。今や何者であるかというものは現実世界での活動ともリンクする。何者でなければまともな学習機会や就労機会を得ることは難しいのだ。そうであろう、信頼の置けない人間にそんなものを与えるメリットは何一つないのだから。一つ間違えれば背中を刺されるかもしれない。何者でないというのはそれくらいのものなのだ。



僕は未だに何者にもなれていない。社会に信頼される人間ににはなれていない。社会に役立つ人間に未だになれない、生産性も全然ない。明日生活のためのアテがなくなって死ぬかもしれない。そんな不安定な生き方ばかりしている。社会に認められなければそれは守られない。何者かというのはそうならないためのこれからの生活の知恵であり、これからの必需品なのだ。