コミュ障だから明日が僕らをよんだって返事もろくにしなかった

何かを創る人に憧れたからブログをはじめたんだと思うよ

どうして僕は自殺しないんですか?

このブログを読んでいるみなさんはどうやって生きている意味を見出しているのだろうか。

昔、ここではない場所で「なんで生きているんですか?」「どうして自殺しないんですか?」みたいなコメントをもらったことがあってずっと答えることができないでいた。なんか気の利いた返しができればいいんだけどそんなことは出来なかった。そうやって結論を先送りにして結局僕はずるずると今まで生きてしまった。そうやって生きてしまった結果生活が良くなればいいものなんですが、現実ってのはその逆で生活は苦しくなっていくばかりなわけです。やっぱりあの時『人生の損切』をしておけばよかったなあみたいな後悔が続くわけです。あれは誹謗だったのかアドバイスだったのか。やさしさだったのか中傷だったのか。讒口だったのか思いやりだったのか。ずっとそういうのに苛まれるわけです。

こういう生き方しかできなかった僕が悪いし、甘えでしかないし、それは努力不足以外のなにものでもないし、そうなってしまったのは自己責任でしかないわけです。でも、それを変えるにはやっぱり自殺しかないんじゃないかなって思うのです。僕の低能なおつむではやっぱり今の生き方を変えることって無理なんじゃないかなって思ってしまうのです。そういう生活を長く送っていくとやっぱり変えることはできないなって日々感じてしまうのです。長く生きていくほどどうにかなるビジョンなんて見えなくなってくるんです。つらいね。


最近は何事も継続していれば信用も得られるから大事だよみたいな情報が多く目に入ってくるようになってきてブログを続けるのも苦しくなってきました。継続に価値があると思えるなんて傲慢でしかないんですよね。マーケティング屋がロングテールの戦略だとか、錯覚資産だかなんだかをなんて言い始めたくらいからそういう声が強くなってきた気がします。はじめから価値のない人間がそんなことをしても意味などないわけです。ゼロになにを掛けてもゼロだし、マイナスを掛ければプラスになることはないんです。なんでもかんでも積み上げグラフの世界で見がちだけども自分の価値や信用、そういったものはマイナスにもなるんですよね。だからこそ生きててしまってごめんなさいしないといけないのです。生産性のない人間は清算しないといけないのです。

僕はこのブログを読んでいる皆様方と違って生産性なんてものを持ち合わせておりません。生きてていけない人間なのです。そういう人間が今日まで自殺せずにどうしてのうのうと生きているんですかね?


どうして僕は自殺しないんですか?