コミュ障だから明日が僕らをよんだって返事もろくにしなかった

何かを創る人に憧れたからブログをはじめたんだと思うよ

どうにもならないときは自殺が最適解であるということ

「生きるべきだ」という正義はもうやめにしましょう

つい先日の話なんですけども以下の匿名投稿を見ましてですね。やっぱり僕みたいな無能な人間は自殺しないといけないんだろうなと無能ながらにおもったのですよ。うん、何と言いますか定期的にこんなこと言ってますね……。さっさと死ねばいいのにね……。そういえば僕がよくやっているSNSとかでもこういった発言よくくるんですよね。つらいね。まあ、それは自分が一番よく分かっていることだから実行までのモラトリアムをもう少しください。そして許してほしい。やはりいざとなるとどうしても怖気づいてしまうのですよね。その結果が生きている証を無駄に残すブログ更新にこうしてあらわれているのです。実に醜いですね。

件の投稿
http://archive.md/20201107045349/https://anond.hatelabo.jp/20200814222249



ブログを書き始めのころにも似たようなこと書きましたが、自分がブログに書き続けていることは自分で『アウトプット』だと思っている質の悪い迷惑行為でしかないのですよね。社会に役に立たないノイズを増やす迷惑行為。それがブログを通じて "わたしのアウトプット方法" として歪な形で吐き出されている。実に醜いものです。


さて、ここで件の投稿に合わせて僕の無能エピソード100選とかやってもいいのですが、まあ上にあるようなやらかしを無限に積み重ねているだけなので面白くはないのです。ただ僕の場合は試用期間で切られるレベルの無能さなので100選とか余裕でできちゃうんですよね…。つらいね。ノルマ未達で連帯責任ってのもあったなあって思いだしたくない記憶が甦ります。まあ、そういうどうしようもない僕みたいな無能が今ものうのうと社会に生きているんですよ。そんな人間があなたの近くに潜んでいると考えたら怖くないですか?どうしたらいいと思いますか?救いの手を差し伸べたいと思いますか?


そう、やはり自助の力で社会からすっぱり消えてもらうしかないですよね?



そう、そういうことなんだ。つまりはそういうことなんだ。僕はまだ自助努力が足りていないから存在している。努力しないとね。社会に役に立つ人間にならないとね。






普段はこういったことを考えないように生きてしまっていたのですけど、ふと上の考えがまた脳裏をよぎってしまったのです。なんでまたこういった考えがぶり返したのかと言いますと、また聞きなのですがそういった人たちってやっぱり最終的に首吊ってるらしいんですよね……。あぁ……やっぱりそうなんだなって思ったわけです。

ちゃんと自分にけじめをつけられてエライ!


僕はまだ社会に役立つ『アウトプット』ができてなくて申し訳ない。本当にすみません。社会に役立つ『アウトプット』するにはまだ覚悟が足りないからこんなことになってます……。