コミュ障だから明日が僕らをよんだって返事もろくにしなかった

何かを創る人に憧れたからブログをはじめたんだと思うよ

才能のない人間はいつ死ぬのが正しいのか

インターネットというおもちゃ箱での死に方

いつもそういうことを考えていて、僕みたいに持たざる人間は今すぐ死ぬのが正しいのか、それとももう少し待つのがいいのかって悩むんですよね。僕は自殺は人生のロスカット、インターネットの人間は消費コンテンツ、才能は他者評価のラベル。そんな風に思ってるところあって、インターネットでやること全てに希望も価値も見いだせないんですよ。それがブログであれ、Twitterであれ、Instagramであれ、Facebookであれ、Pixivであれ、ニコニコであれ、GitHubであれ、どんなネットの媒体であってもですね。ITで暮らしがどんなに便利になろうともそこは架空の理想郷ではなくて、現実社会の延長でしかないわけですよ。つながりがあってこその世界なんですよね……。

だからこそ、何も持たざるものって「無敵」であり「孤独」なんですよね。グーグル検索を駆使すれば今やどんな情報でも手に入るようになった。知識だけは無駄に詰め込むことができるようになった。だけど、グーグルは道徳も倫理も教えてくれないんですよね。社会で "真っ当" に生きるための在り方は……。


僕は……、ここで「人間として」生きていくのって正直しんどいです。


そんなことを言っているならネットを辞めればいい話なんだけど、僕自身、現実に居場所はないんですよね。どこか逃げ場のようなものがなければ生きた心地なんてしないのです。だから、ガラクタとしか思えないネットに戻ってきてしまうのです。そして、そこでロスカットの考えがよぎるわけです。

ただ僕もインターネットのおかげで「人生を終わらせる方法」は一つでないってことを学びました。自殺か刑務所かホームレスかという選択肢を……。自殺って言うのは言うまでもなくそのままです。刑務所って言うのは、自殺に向かうベクトルを誰かに向けるってことです。そして、ホームレスは自殺と刑務所を除いた残った選択肢です。

生きていれば儲けもんなんて考え方もあるようだけども、そんなものは博打みたいなもので皆々に同じように当てはまるものではないでしょうに。しかも、先程のように選択肢は3つもあるのです。正解はなくても選ばざる得ない時もくるものです。


来る日、僕はどれを選ぶのでしょうか?



最悪の選択をしないためにも早めにケジメをつけなきゃと思うのです。才能のない人間が死ぬ日を。