コミュ障だから明日が僕らをよんだって返事もろくにしなかった

何かを創る人に憧れたからブログをはじめたんだと思うよ

特別な何者かでなくては生きる価値はない

生きづらい世の中において何者でないものの救済は死

世の中の多くの人が愛する物語の分類分けの一つに貴種流離譚というものがあります。
ja.wikipedia.org

"特別な人間" が何か不幸な境遇の中で成り上がっていく…、そんな話。それは現実の世の中で成り上がっていく人間にも適用できます。現実でも "特別な人間" が成り上がる話はもてはやされます。僕みたいに何もない人間の人生とかぶっちゃけどうでもいいですよね?何もない人間は死にかけの状態でいてくれた方がしたにはしたがいるって気がして面白いですよね?むしろ死んでほしいですよね?

そう、僕みたいに特別の何かをもたない人間はそういう生きていてもいい道なんてないんですよ。だから死は救済。それしかないのです。とても正しい。優秀な人間の血筋だけ残ればいい。それが世の中をより良くする。持続可能な社会を作り上げる……。貧困も、飢餓も、差別もなくなる。そういうものがきれいさっぱりなくなるのですから。イレギュラーなものが存在しなければ世の中はよりよくなってしまう。素晴らしいですね。


別に生きていてもいいという話もあるでしょうが、世の中は選択と集中、自己責任の時代です。そういった何者かを何者かたらしめるものがない人間は福祉として使われる税金が無駄になってしまう。ですよね? "努力" をして何者かとして市民権を得てきた人からみたらそれは許せませんよね?もうこれ以上の増税は嫌ですよね?世の中で優秀な人間だけ生きていればいい。今はそういう時代なのです。



だからこそ救済はそこにしかないのです。世の中をよりよくするために。