コミュ障だから明日が僕らをよんだって返事もろくにしなかった

何かを創る人に憧れたからブログをはじめたんだと思うよ

社会に役立たないものは勉強ではないということ

社会に役に立たない人間の勉強は勉強をした気になっているだけで何もしていないと同じという啓蒙、あるいは呪い

最近思うのです世の中の流れってそれが「人の役に立つ」か否かでしかないんだろうなって……。僕はどうあがいても生きていくことができなかった人間だからそういうのが呪いとして突き刺さるのですよね。社会に役に立つってなんだろうなって…。まあ、言って僕は頑張ってない側の人間ですけどね。勉強に失敗して、就職に失敗して、仕事に失敗して、そういう生き方しかできなかった側ですよ。要するにさっさと死ねって言われる側です。勉強しなさいってやつですね。みなさんはこんな人間になっちゃいけませんよ。

こういういわゆる「自助」ができなかった人間ってどこに行けば処分してくれるんだろうね。公的な殺処分施設、僕が生きているうちにできるといいね。



ところで商売の世界で「勉強しなさい」は値引きを意味する言葉として使われることがあります。僕も思うのですよね。世の中で言われている「勉強しなさい」ってのは上にあるようなニュアンスで使われていて、僕みたいなそういう人を間引くために使うスローガンなんじゃないかなって。近年はSNS掲示板に気軽に「死ね」だの「殺す」だのなんて書けなくなったおかげで派生スラングが数多く生まれてきました。きっとそれもそういう意味を持っているのではないだろうかなんて思ったりするのです。なんにもできない人間がちょっと本を読んだり、簡単な資格を取ったり、そんなことをしてもなんにもできないことは変わりませんからね。生きていていい理由にはならないわけです。


うん。

僕も社会に役に立つために「勉強」しないといけないね。