コミュ障だから明日が僕らをよんだって返事もろくにしなかった

何かを創る人に憧れたからブログをはじめたんだと思うよ

継続の無意味さ人生の無意味さ

生存報告という名の下で続けているブログを終わらせることができないでいる

生産性のない人間がどうやって生きていけばいいのだろうって日々思い悩む事がある。答えは自分の頭の中でわかっているんだけど、その決断を下せずにいる。自分のように価値のない人間が社会の中でどうやって溶け込むことが正しいのか、インターネットという公共の空間に存在していてもいいのか分からないで生きている。

自分は「生きていればいいことがある」なんて言説がどうにも信じられずにいる。今まで生きてきてコストとして扱われたことしかないからだ。仕事の場ならばそういったのは特に顕著だ。何かを生み出せない人間は弱いものだ。社会に貢献できない人間は弱いものだ。商品を売れない人間は弱いものだ。代わりはいくらでもいる……、壊れたら新しいものに変えればいいのだ。ただ、自分という個体が生きるためにはどうしても維持費がかかる。ラットレースを続けることには限界があるのだ。インターネットではそのための不労所得手段としてなんだかよくわからない情報商材を売ることが勧められている。自分は、自身の延命のために誰かの生活を弄ぶことが正しいのか分からない。終わらせることも視野に入れることも正しいとさえ思っている。楽しいことを楽しいまま終わらせること、辛い現状から逃れるために終わらせること、他人の迷惑になるから終わらせること、たぶんどれも正しいことだと思う。

そう、正しいのだ。あとは前に踏み込むことだけだ。



……。
やはり、こういった「お題」に対して誰かの共感が得られるアンサーというものを書ける気がしない。大抵は「それでも前を向いて歩こう」なんて締めくくるんだろうけども皆々が向いている目線は違うものだ。誰にだって目の前に道があるわけでない。前へ進む、その先は足場のないマンションの屋上かもしれないし、電車が間近まで来ている駅のホームかもしれない、陸地のないどこまでも続く海なのかもしれない、遊歩道から外れ帰り道のわからない山奥なのかもしれない。迷ってないで「決断」しなくちゃいけないのにな……。



ブログで何か発信していればどうにかなるって言われたりするけども、そんなことはないことを自分が毎日更新して証明し続けています。生きていれば救いのない選択肢しか残らなくなっていくんだよなぁ。皆々がキラキラした生き方を享受できるわけでないのです。

餓死か自殺かホームレスか刑務所か
今日も迷ったままヒトに迷惑をかけて生きてしまいました


#「迷い」と「決断」

りっすん×はてなブログ特別お題キャンペーン〜りっすんブログコンテスト2019「迷い」と「決断」〜
Sponsored by イーアイデム