コミュ障だから明日が僕らをよんだって返事もろくにしなかった

何かを創る人に憧れたからブログをはじめたんだと思うよ

プログラミング役に立たない

生きるのに役に立たない

ちょっと前にプログラミング学習サイトやってますって話題をしておいてこんなこと言ってしまうのもアレですけど、僕はそういう人です。薄々気づいていたけど僕にとってプログラミングは多分生きていくのに役立たない。少し前にネットでそういうのが話題になっていたので僕の考えを含めたドロドロしたものを書いておこうと思う。


「それ」が役に立たないのは数学が、英語が、科学が、経済が、政治が、歴史が……生きていくのに役に立たないとかと一緒の考えだと思う。生活が豊かになるわけでもないし、仕事に役立つわけでもないです。もちろんそれが役立つ人が一定数いるのは事実です。しかしながら、それは役に立った人が言っているだけの生存者バイアスに過ぎません。一部の人間にのみ当てはまる事象です。


残念なことに、この世界は万人に平等に出来ていません。一人の席には一人しか座れません。椅子取りゲームは勝者にしかライトが当たりません。にもかかわらず、その世界に立てない人間はどこにでもいます。むしろそういった人間の方が圧倒的多数です。そうした世界に立てないならばどうにかして生きるための別の方法を探すか、死ぬしかないのです。これはもうどうにもなりません。どうにもなりません。


生きることに役に立つものは、人によってそれぞれです。僕にとって「それ」は役に立たなかったというだけの話です。


よくプログラミングを学ぶと実際に仕事をするのに効率的な考え方や論理的な思考力が身につくなんて言われています。その思考法を得るために「"コンピュータ"に意図した動作を効率的な処理させるための設計」の仕方を覚える必要はあるのでしょうか?そもそもの本質は「"何かをするため"の効率的な設計」でないでしょうか?そうしたことのできる題材はいたるところに転がっています。対象をコンピュータに限定する必要はないのです。

役に立つかどうかというのはコミュニティに属す人間の言い分であって、そこに所属できてはじめて役立つものなんですよね……。それなのにも、今まで社会の役に立たない僕が厚顔無恥を顧みず「それ」について役立つなんてことを書き散らしている。とても虚しいものです。生産性もなく繰り返されるマスターベーション、"生産性がない" 人間は、どうあがいても生産性はありません。そして、生産性のない人間はコミュニティからは必要とされないものです。能力がないのですから……。


そういうのを認めたくないからブログなんてくだらないものに「それ」の情報を載せてきたわけです。とても無駄なあがきです。荒みきった人間関係の避難先として「それ」のことを書き散らしているに過ぎなかった。"生産性がない" 活動でしかないにもかかわらず。誰でもできることを鬼の首を取ったように書き残す無駄な行為。心のどこかで「それ」を続けていれば自分だけはどうにかなるなんて思っている。けれど、そんなものは偽りでしかない。認めなければいけない。終わらせなければならない。


僕は…、今後どうしたら良いかなんて身の振り方はまったくよくわからない。


ただ一つだけ……、生きていること自体が役に立たないとは薄々思ってる。この世の全てにおける救済は死。死は人類すべての問題を解決する最高のソリューション。生きているだけだけで価値があるなんて言い分もあったりするけども、理由もないものは逆もまた然りです。


能力も生産性も社会性もない人間が生き残るのは難しい。なのに、自分が正しいと思っている選択しを決行するのも難しい。