コミュ障だから明日が僕らをよんだって返事もろくにしなかった

何かを創る人に憧れたからブログをはじめたんだと思うよ

元来、私は文章を書くことが嫌いでして

利益のない文章を書いてます

丁度、はてなブログのお題機能にて「ブログが書きたくなる時」というお題が出ていたのでそれについての言及でもしようと思います。タイトル通り、私は文章を書くという行為が苦手です。苦手というよりもはっきりと言えば"嫌い"です。ある程度継続してブログを書くなんてことをやってますが、書くこと自体はすこぶる嫌いです。この場で嫌いな理由を100や1000書き連ねることもできますが、こういった陳腐な箇条書きの羅列は誰も求めていないでしょう。なので、ここに書きとどめるのはやめておきます。

はっきりと書くことが嫌いだと先ほど述べました。それなのに、まだ私はブログなんて呼ばれる個人のポエムだかメモ帳だかチラシの裏のラクガキだかわからないものを書いています。いわば利益のない文章というのを量産し続けています。ここでの利益というのは儲けや金になるとかいう意味だけでなく、誰かに得があるとかそういったことを含めてです。言ってしまえば、私が行っていることは"つまらないもの"の生産です。

空虚で、薄っぺらくて、中身がなくて、空っぽで……。
使い道はなくて、役に立たなくて、軽薄で、退屈で……。


そんなガラクタばかりをネットに遺しています。


承認の世界でつながりを求める

そういったわけで、私は理由もなくここでゴミを作ってます。社会に役立つ生産的な活動でないことは分かっていますが、このゴミの中で私は創造的活動の残渣を廃棄しています。こうやって作り続ける理由は承認欲求とか自己顕示欲とかを満たしたいからなのかもしれません。私という生き物は浅ましくも知的好奇心を満たし、その価値というものを他者から認められたいと考えているわけです。

ネットと私をつなぎとめる理由として屈折しているのは分かっているのに、病的なまでにこの衝動を抑えることが出来なかった。それがこの有り様です。こうやって迷走したまま今も滑稽な生活を送っています。現実が充実しているなんてことがあれば、また視えた世界があったのだろうなと思うこともあります。ただ、当時の私も今の私にも視える世界がそれだけだったのです。

この浅ましい私という生き物は、何の取り柄もないくせに人一倍認められたいという欲求だけを振りまきます。ネコのように愛想を振りまくでもなく、イヌのように人懐っこく尻尾を振るでもなく、ただただ手前勝手の主張を振りまくのです。


私がブログを書きたくなる時……。


卑しくも私のエゴを満たす共感者を探すツールとして、"誰でもできるという"ブログを利用しているのだろうなと思い至るのです。



今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」