コミュ障だから明日が僕らをよんだって返事もろくにしなかった

何かを創る人に憧れたからブログをはじめたんだと思うよ

自己責任論で無敵の人が増えるという論調の問題がわからない

世の中はどう足掻いても自己責任から抜け出せないわけで、殺されるのも殺すの自己責任なわけでしょ

よく自己責任論を放って社会問題を先送りにしてると無敵の人とかジョーカーとかが増えて大変なことになるとかそんな論調があるんですよ。そんな情に訴えるやり方で大変だと言いかけても僕には何が問題か分からないのです。

偉い人はみんな "殺されない努力" をしてるのだからそんな人が増えたところで有象無象の誰かが死ぬだけじゃないですか。殺されるのは僕かもしれないし、殺すのは僕かもしれない。ただそれだけの話しなんですよね。そこに「世の中危なくなってきているね」なんて訴えは変な感じじゃないでしょうか。世の中には災害や病気、不慮の事故で亡くなる人もいるわけです。そんな有象無象が巻き込まれる事件なんてそれと同じじゃないですか。運が悪かった。それだけなんですよね。

今生きている偉い人ってのは生まれる前から努力して、生まれてからも努力しているわけですよ。だから何をしても許されるわけですよ。そうでない人間、そうはならなかった人間は努力が足りなかったそれで済む話なわけです。だから、これからも何があっても努力が足りなかったことによる自己責任であることを受け入れなければならないわけです。

世の中は危険になるなんて感情に訴えても何も変わらないのです。