妄想を想像し、空想を創造する
自分にはないものばかりを追い続けるって病的だね。でも生きてるってそんなものだと思うと、多少気が楽になる。不思議な感じ、不思議な気持ち。全然素面なのにね。可笑しいね。
さあさあ、愉快ついでに限界をむかえた僕が不愉快な話をするよ。寄ってらっしゃい見てらっしゃい、自分に酔った空想家が世迷いごとを書き出すよ。走らせる筆は気持ちと裏腹、乱文駄文で迷惑千万。自由気ままな文筆も分泌されるは不安と恐怖に満ちた偏執日記。推敲なんてありゃしません。成功なんかないのですから。
とある本によると、気持ちの持ち方でモノの見方なんて幾らでも変わるそうです。けれども自分にゃ日持ちしない心持ちしか備えておらず、おちおちなんか出来やしません。目的もなく、行くあてもなくただただ死を待つのです。感情を殺し、精神を壊し、心を亡くし、肉体が朽ちることをただ待つのです。望むと望まらずとに関わらず臨まねばならないのです。
そんなこんなで生まれてしまったこんな文章ですが、中身は空っぽです。虚ろに綴る文字に意味なんてものはなく、愚痴というにはまとまりがありません。されど、筆を取りたかったのです。自分が今生きていたことだけはここに表現したかったのです。自分に何もないことは自分が一番理解している。失うものがないことも。なのに日に日に喪失感ばかり溜まっていく。失うものがないのにもかかわらず。
今、自分は現実に虚構の空間を作り出し、ありもしない妄想に生きている。流行りのVRなんて言えば聞こえはいいが、あいにく自分の犯しているあやまちはそんなものでない。言うなれば、現実逃避に他ならない。はじめ、その世界での自分はなんだってできるように考えていた。しかし、嘘だった。そこには何もなかったのだ。拙い経験と知識から抽出されたその世界は、紛れもなくまがいものであった。生き辛さから逃げ込んだこの楽園は、虚無の栄える象の墓場でしかなかった。
生きることから逃げ、死ぬことに目をそらし、何も考えないようにする。いつか終わりにしなければいけない。そんな思いが毎日頭をぐるぐるとまわる。だけど、きっと答えは出ない。だから生き続けている。惰性だ。最低だ。未だ覚めない夢を見ている。
もう……、くだらない夢を見るのは終わりにしよう。終わりにしないといけない。妄執という呪縛から解放されるには筆を折るしかないのだ。