コミュ障だから明日が僕らをよんだって返事もろくにしなかった

何かを創る人に憧れたからブログをはじめたんだと思うよ

死ぬ死ぬ言っている人は死なない

はじめに

死ぬ死ぬ詐欺なんて言葉がある。死にたいって言っているうちは死なないなんて言われているそうです。まあ、僕にはどうでもいい話なんですけどね。ただこの理論でいくと、生きる生きる言っている人は永遠に生き続けることになるよう気がします。


そういえば、そんな考え方が蔓延しているおかげでこんなの出来てました。
自殺についての5つの誤解 東京都福祉保健局


健常な思考の持ち主というものは死にたいなんて考えないそうです。そうなると、僕は健常な思考を持ち合わせていないってことになるわけですが……。いやー、照れるね。

死ぬことを考えるということ

ところで、こういう話をすると自殺願望者はいつ死ぬのか生きるのかみたいな、全か無しかないそんな話になるんですよね。だけど、実際の死にたい人は生きたいと死にたいが混在している状態なわけなんです。結論が出せずにどちらに答えを出すか悩んで悩んで悩んでいるとかそういう感じなんです。だから、死にたいっていう人が周りにいたら、どうしたらいいかなんてそんなもの関係なくこれから死ぬ人だと思って接すればいいんです。別に接し方なんて変える必要なんてないんです。死ぬのは自然の摂理です。長く生きようが早く死のうが往々にしてそんなものは無価値です。早起きは三文の得になるかもしれませんが長生きなんて三文の得にもなりゃしません。命のやり取りもそうです。FXよろしく損切りできるかできないかが命の価値になります。

生きる必要なんかないということ

最近はセルフネグレクトなんて言葉があらわれて、別に結論なんか先急がなくても良いんだよみたいなところ出てきましたね。僕も生活能力とか致命的なまでに皆無でして、質問サイトで今日何を食べましたかみたいな質問来た時に「あ~そういえばろくなもの食べてないな~」ってなったりします。まあ、そもそもあまり食べない方なんでゴミとかあまりたまらなくて逆にラッキーみたいなところあるかもしれません。

まあ、ネットに映る他人の人生なんてただのエンタメの一種です。自分も他人も皆平等に同じコンテンツなんです。いわゆる、おもちゃってやつですね。「死ぬ死ぬ言っている人は死なない」、そう言ってしまう本質はそういうところにあるんじゃないでしょうか?

まあ、どうでもいいね。どうでもいんですけど、今日月曜らしいですね。……。どうでもいいか。